法福寺紹介

法福寺の略歴

法福寺は、大同元年(806)幻識大和上の創建であると伝えられている。本尊は十一面観音であり、むかって右の脇立ちは馬頭観音、左の脇立ちは聖観音である。いずれも奈良の仏師春日の御作と言われている。かつては七堂伽藍があり、仁王門の中にも十六坊が立ち並んでいたが上杉謙信が侵入した折、兵火にかかって消失したという。その後、中興秀運和尚の代に、文禄二年(1593)に前田利家公より観音灯明田百俵の寄進を受け法福寺を再興した。この時から加賀藩の祈祷寺となり、加賀藩より篤い庇護を受けた。特に三代藩主前田利常公は信心が篤く、多くの寄進を賜った。また。当寺観音様の法力があるということで、宝福寺より法福寺に変えたと伝えられる。現在は、2000坪あまりの境内に七間四面の観音堂、庫裏、弁天堂、仁王門を擁しています。明日大桜(樹齢約400年)は明日の稚児舞(国重要無形文化財)の頃に満開になり、多くの参詣人をお迎えしております。

国指定重要無形民俗文化財明日稚児舞あけびちごまい

法福寺の稚児舞は、毎年 4月18日(現在は 4月第3日曜日)の同寺観音祭に稚児4名によって奉納される雅な舞です。文献資料によりますと、江戸時代中期以前から伝わっているももと確認できます。

この稚児舞は、上方系の舞楽が稚児舞の形で地方に伝承されているところに特色があるといわれています。昭和40年 1月 1日には、県の無形文化財の指定を受け、その保存伝承に一層の努力が続けられてきました。さらに、昭和57年1月14日、下村(現射水市)の賀茂神社、婦中町(現富山市)熊野神社の稚児舞とともに「越中の稚児舞」として、国の重要無形文化財として指定を受けるに至ります。

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